
善法律寺(紅葉寺)
石清水八幡宮検校職であった善法寺宮清の建立。宝冠阿弥陀如来坐像をはじめ、僧形八幡画像など多くの文化財を有する。また足利義満の母良子ゆかりの寺。境内には寄進された紅葉が多く、「もみじ寺」ともいわれ...
石清水八幡宮検校職であった善法寺宮清の建立。宝冠阿弥陀如来坐像をはじめ、僧形八幡画像など多くの文化財を有する。また足利義満の母良子ゆかりの寺。境内には寄進された紅葉が多く、「もみじ寺」ともいわれ...
江戸時代に、代々幕府領の庄屋を務めた伊佐家の住居で、重要文化財に指定されている。享保19年(1734)に建てられた母屋は、茅屋の屋根の厚さが特徴的でかつてあった巨椋池の茅で葺かれ、赤い壁は、今は...
農家の方々の「自分で作った野菜や農産物加工品は自分で販売したい」との気持ちから生まれたふれあい市。販売品目は、野菜、花、果物、加工食品(茶・漬物など)、パンなど。また4月~5月初旬には筍も並ぶ。
建久2年(1191)開創、同寺は志水家の菩提寺であり、天文15年(1546)には後奈良天皇の勅願寺となる。徳川家康の側室で尾張藩祖・義直の母、お亀の方(相応院)が志水家の娘であったことからゆかり...
築100年以上の元お茶屋を利用したタイ料理店。タイの風を京都に運んで35年間。タイ料理を食べやすくアレンジした「和スタイル」から本場の味をそのままに「タイスタイル」まで辛さや旨さを自分の「スタイ...
かやぶきの里から車で約3分にあり、四季によって様々な表情をみせる山間に佇むお宿です。美山が育んだ食材で春の山菜、夏の鮎、秋の松茸、冬の猪・鹿と訪れる季節ごとお料理を提供致しております。
大自然がパノラマ式に展望できる由良川左岸に位置し、本町の風土で培われた特産物や農産加工品を提供。わち山野草の森まで徒歩5分程度。道路情報センター、フードコート、鮎ガーデンなども併設。
美しい庭があり、しっとりとした純和風の建物の温泉料理旅館、芹生。季節の山菜や川魚の持味と香りを大切に料理されている。また、隣の芹生茶屋では、おそばなどが手軽に食べらる。
中世の豊富庄の総社。三間社流造りの本殿は、約500年前の室町時代後期、文亀2年(1502)頃に建立された建物。昭和62年(1987)6月に国の重要文化財に指定された。
由良川の雄大な流れと福知山盆地の山々に囲まれた街、福知山。歴史あるスポットが点在します。また、北京都の玄関口として観光の拠点としても便利な位置にあり、毎年たくさんの人が訪れます。素朴な人情が今な...
樂家に伝わった樂家歴代による樂焼作品および茶道工芸美術品が展示されている。年に3回程度、展示内容が変わる。(所要時間/約40分) 「水月雪花之茶会」 樂家15代樂直入席主による館所蔵の作品を用い...
収蔵している芸術関係資料は絵画・工芸などの卒業作品と参考品を合わせて約4,500件。画家として大成した卒業生の学生時代の作品など、芸術的価値の高いものも多い。近年は現代美術作品のほか、写生や下絵...
鶴屋吉信は享和3年(1803)創業という老舗の和菓子屋さん。バラエティーに富んだ和菓子の数々が店先に並び、なかでも京名物の「柚餅(ゆうもち)」は柔らかく上品な味。優雅な柚子の香りを求肥にしのばせ...
フランス印象派のモネが描いた絵画、「睡蓮」のモデルとなった庭園などを再現するとともに、印象派の絵画を陶板で再現し展示する庭園美術館。
本坊の「雪の庭」は松永貞徳の造営で、清水寺成就院の「月の庭」、北野天満宮の「花の庭」とともに、雪月花三庭苑と呼ばれる。紀州道成寺ゆかりの「安珍・清姫の鐘」を所蔵、展示している。
戦乱の世に終止符を打ち、天下統一の道筋をつけた織田信長の業績をたたえ、明治天皇によって創建された。本殿、拝殿、貴賓館、社務所などの建物が整然と並ぶ境内は、東山を見晴らす絶景の地にある。
比較的水深が浅く波が穏やかで小さなお子様でも安全な海水浴場。キャンプ場、オートキャンプ場を併設。
ファミリー向けのミニビーチで磯遊びも楽しめる。キャンプ場も併設。
創業以来90余年の月日に渡り伝統の味を守り続ける西京漬の老舗。町家空間に流れるゆったりとした時間の中で、焼きたての西京漬をお楽しみ下さい。(座席数45席)また、1階ではこだわりの西京漬をお買い求...
天ぷらと京料理が美味しくいただける。
延宝5年(1677)創業。現在も慶応4年(1868)に立てられた建物をそのまま本社として使っており、そのたたずまいは積み重ねられた歴史の風格を留めている。「京の食文化に育まれた伏見の酒」というの...
一乗寺下り松はその昔、宮本武蔵が吉岡一門と決闘を演じたところといわれている。しかし今では民家が密集し、当時のことを記した「宮本・吉岡決闘之地」と刻まれた石碑のみが残る。
明治16年(1883)、京都府知事の北垣国道は当時東京大学の学生であった田辺朔郎に会い、疏水計画を依頼した。田辺はこれを卒業論文にまとめ明治18年(1885)、卒業と同時に着工し5年がかりで第一...
明治元年(1868)、鳥羽・伏見の戦いで、西園寺公望公の「王政復古反対派の軍勢を攻めよ」との命令に応えて、山国村の農民83名が武装蜂起した。翌年、征東軍の一隊として山国隊を結成。大総督有栖川宮の...