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和束天満宮
天満宮は、平安時代、菅原道真の絵を菅原家より奉納され、祀ったのが初まり。本殿は、南北朝の動乱により焼失したが、正平3年(1348)に再建。室町時代の特色がくっきりと現われた社殿建築。
天満宮は、平安時代、菅原道真の絵を菅原家より奉納され、祀ったのが初まり。本殿は、南北朝の動乱により焼失したが、正平3年(1348)に再建。室町時代の特色がくっきりと現われた社殿建築。
大山崎のシンボルである天王山は、標高は270.4m。淀川をはさんで男山と向かい合い、京都盆地から大阪平野への出口の門のような地形。戦国時代には軍事的にも経済的にも重要なポイントで、山崎合戦に勝利...
相国寺塔頭。はじめ大徳院と号していたが、後に足利義政の菩提所となったことから、その法号にちなみ慈照院と改称した。江戸時代初期には桂宮家の菩提所となり、その学問所・棲碧軒が現存している。また、千宗...
境内には明治維新史跡があり、参道を「維新の道」と呼ぶ。嘉永6年(1853)以来国難殉じた維新の志士を始め、日清、日露、大東亜戦争での京都府出身の英霊73,011柱を奉祀する。坂本龍馬の墓からは市...
東福寺塔頭。本尊の不動明王は藤原道長が仏師康尚に作らせたもので木造坐像としては日本一の大きさを誇り重要文化財に指定されている。またモルガン財閥に嫁いだ芸妓モルガンお雪の墓があり「働く女性の守り本...
明治23年(1890)に引かれた琵琶湖疏水は大津と京都を結ぶ舟運ルートとしても利用された。しかし、蹴上と岡崎とではあまりにも標高差があったため、坂道にレールを敷き、台車に舟ごと乗せてこの間を運ん...
増誉大僧正が寛治4年(1090)に白河上皇より賜った寺で、家並みがつづく築地塀に囲まれるように建つ。現在の建物は延宝4年(1676)再建。修験道の本山として全国の修験者を統括したため、古くは入洛...
元禄の昔、芭蕉が当寺の鉄舟和尚を訪ね、語り合った芭蕉庵を与謝蕪村が再興した。本堂後丘には、その芭蕉庵、蕪村の墓、句碑がある俳句の聖地。又、舟橋聖一作「花の生涯」や諸田玲子作「奸婦にあらず」のヒロ...
圓通寺は、その昔、後水尾上皇の幡枝離宮だったところで、修学院離宮の前身。また、一面に青苔がおおう枯山水庭園のかなたには木立を通して比叡山が眺められ、見事な借景式庭園となっている。四季折々の風情が...
寺院の法要で唱える仏教儀式音楽、声明(しょうみょう)を伝承する学僧の住む寺として建てられた。庭園には多くの草木が植えてあり、四季折々の花を楽しむことができる。特に秋から春まで咲き続ける不断桜は有...
滝口寺は、平重盛家臣・滝口入道時頼と建礼門院の侍女・横笛の悲恋の舞台となったお寺。本堂には横笛と滝口入道の比翼の木像が安置され、参道には横笛の歌石がひっそりと立っている。また境内周辺は、平安時代...
大原の北にあり、中国風の山門が変わった印象を与えてくれる。深い緑に覆われているせいか、夏でもひんやりしている。参道の左手には実相の滝があり、古木の楓と絵画のような構図。隠れた紅葉の名所である。
1966年より約50年にわたり皆さまに愛された智積院会館は全面建て替えにより2020年(令和2年)9月装いも新たに生まれ変わりました。新しくなった智積院会館へどうぞお越しください。
足利義満が普明国師を開山として建てた臨済宗単立寺院。山門脇の古びた土塀が、禅宗の寺院らしさを引き立てる。庭園は苔むした枯山水で、なだらかな稜線の嵐山を借景にしている。〈宿坊〉女性のみ対象。おつと...
ルネッサンス様式の重厚な外観。アメリカの建築家ガーディナーの設計により明治42年(1909)に建築された。カフェとフレンチレストラン、全6室ツインタイプのラグジュアリーホテル併設。
南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山で、正応4年(1291、鎌倉時代)に亀山法皇の離宮を大明国師に賜り禅林禅寺としたのが始まり。足利義満の時代に「五山之上」に位置し、禅宗寺院最高の格式を誇る。広大な境...
京菓子資料館は、京菓子と京のおもてなし文化を体験することができる施設。敷地の間口の狭さを活かした京都らしい建物は、1階に茶室、2階に展示室がある。1階の裏千家鵬雲斎千玄室大宗匠ご命名の茶室「祥雲...
古都を一望におさめる景観と四季折々の自然に恵まれた風情あるホテル。徒歩圏内に名所が多数点在する立地の良さも魅力。宴会場「葵殿」の南側に広がる葵殿庭園は、昭和8年(1933)七代目小川治兵衛氏の晩...
東福寺塔頭。明徳元年(1390)岐陽方秀(ぎようほうしゅう)によって創建。日露戦争時、ロシア人の捕虜が東福寺全体に1,500人おり、当院にも当時50人、明治38年(1905)3月24日から11月...
西国33ケ所第21番札所。本堂には諸病を癒すといわれている等身大の木造釈迦涅槃像(なで仏)があり、人々の信仰をあつめている。境内の庭園は室町時代末期のものといわれ、丹波名庭の一つで、府の文化財に...
日本海に面し、「静御前」の出身地といわれる磯地区。海岸を見おろす静の杜には、静御前を祀る神社や遊歩道、踊舞台を模した展望台が設置されている。
水琴窟(山門を入り左側、水子地蔵横)があることで有名な寺院。
中世の豊富庄の総社。三間社流造りの本殿は、約500年前の室町時代後期、文亀2年(1502)頃に建立された建物。昭和62年(1987)6月に国の重要文化財に指定された。
現在の本堂が建ったのは宝永3年(1706)。 奈良時代「鹿山寺(かせやまでら)」と称して古代南部仏教の一派といわれている。 奈良元興寺と関わりがあったとされている。