
信西入道塚
平安時代末の「平治の乱」で源氏に敗れた藤原信西が、領地のある宇治田原に逃れたところを捕らえられ斬首され、その首を持ち帰った領民により葬られたという塚。向かいの大道神社とともに、秋には町内の紅葉の...
平安時代末の「平治の乱」で源氏に敗れた藤原信西が、領地のある宇治田原に逃れたところを捕らえられ斬首され、その首を持ち帰った領民により葬られたという塚。向かいの大道神社とともに、秋には町内の紅葉の...
淀川水系宇治川の支流「田原川」の源流で、町内最大の滝。鷲峰山系から湧き出た清流が落下し、周囲の景観にとけ込む。大滝大明神を祀り、毎年9月1日の「大瀧祭」では酒を飲ませたうなぎを滝壷へ放つ神事を行う。
立川の大道寺地区は、地名となった「大道寺」、町指定文化財の「大道神社」、源平合戦の史跡「信西入道塚」があり、南山城の霊峰「鷲峰山」への昔からの登山口でもある。11月には「古老柿」を生産する「柿屋...
国道307号に面し、大きな茶壷モニュメントや「いらっ茶~い」という看板が目印。広い駐車場を有しバス客の利用も可能。店舗玄関口にテラス席もあり、お茶だけでなく抹茶パフェなども味わうことができる。
岩本城跡は岩山山下地区の背後、通称「城山」の山頂部に築かれた戦国時代の山城。山頂の主郭部には土塁跡が残り、周辺にも曲輪跡が残る。南北朝の動乱で落城したとの伝承もあるが、周囲から石塔や瓦が出土する...
白鳳時代(7世紀後半)に建立された古代寺院跡で、付近から飛鳥の寺院や平城宮などと同じ瓦が出土している。「禅定寺文書」の鎌倉時代の記述に「山瀧寺」の名が見られ、昭和20年代まで「大御堂」が存在して...
南地区を流れる符作川の上流にある滝。古くから「たかお神(水分神)」をまつる清滝大権現社が鎮座する。南地区を川沿いに歩き、田園地帯から山間部に入ると、夏でも冷涼なハイキングコースとなる。毎年8月7...
治承4年(1180)、以仁王の平氏追討令に呼応して挙兵した源頼政は平等院に布陣し宇治川を挟んで平氏軍と対峙した。その頼政軍を攻めて武功を揚げた平氏方の武将足利忠綱は、地元の伝承では郷之口北堂山に...
南山城の最高峰である鷲峰山(682m)は役行者によって開かれたといわれ、古来吉野と並び称される山岳宗教の拠点として栄えた。現在は山頂付近の金胎寺境内が国史跡に指定され、山頂からは遠く琵琶湖まで見...
織田信長に敗れた近江の佐々木氏が逃れたという伝承を持ち、昔ながらの古い風習を伝える山腹の集落。集落から大峰山へ至る林道からは宇治川沿いの天ヶ瀬峡谷や京都市内が一望できる。春には梅林が咲き誇る。晩...
元は「天満宮」と称し中世から存在していた。現在の本殿(町指定文化財)は延宝8年(1680)建立。鷲峰山登山道沿いで隠れた紅葉の名所。
役行者が開いたといわれ、吉野に対して「北大峰」と呼ばれる修験道の拠点として多くの寺社が存在したという。古くから立川大道寺からの参詣道が整備され、今も道標等が点在する。標高682mの山頂付近には金...
約1千年前、東大寺の僧・平崇上人が開いた寺院。十一面観音立像や日光・月光菩薩立像など多くの文化財が宝物殿に安置されている。また、本堂裏には開創千年を記念した巨大壁画『禅定寺平成大涅槃図』が描かれ...
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」が勃発し、堺にいた徳川家康は領国三河へ逃亡。道中、郷之口の山口氏の居城で休憩し、奥山田を経て信楽・伊賀へ逃れた。現在は茶畑等になっているが、堀や石垣跡な...
禅定寺山門を入った場所に置かれてあり、康永3年(1344)銘が刻まれている。当時禅定寺の財産の管理者に男子の跡継ぎがなく、長女の蘭雀女のためにその妹が建てたと伝えられる。
現在の緑茶の礎となる「青製煎茶製法」を開発・普及させた永谷宗円は昭和29年(1954)、大神宮神社に「茶宗明神」として合祀された。「焙炉」跡が保存されている「永谷宗円生家」に隣接。春と秋に大祭が...