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- 絆を巡る ゆかりの地
天正5(1577)年に丹後守護一色氏の重臣小倉播磨守の菩提寺として創建。天正8(1580)年に丹後国守となった細川家とも良好な関係を結び、夭逝(ようせい)した細川幽斎の子菊(きく)童の肖像画、明智光秀の首塚などを有する。
山家城は、本能寺の変後に谷衛友が築城したもの。関ヶ原の戦いで、衛友は細川幽斎の田辺城の包囲に加わったが、歌道の師匠である幽斎に内々に通じていたため、戦後も徳川家康から所領を安堵されたといわれている。現在は、桜や梅などが植栽された公園となっている。
明智光秀と戦った赤井(あかい)悪右衛門(あくえもん)直正(なおまさ)の居城。直正病死後、天正7(1579)年に落城。その後斉藤利三(としみつ)の領土となり、城下にあった下館(しもやかた)(現・興禅寺(こうぜんじ))はその娘、春日局生誕の地として有名。
奈良時代の養老2(718)年創建と伝えられ、本殿は、「三間社流造(さんげんしゃながれづくり)」という建築様式で国の重要文化財に指定されている。細川ガラシャや明智光秀などが活躍した戦国時代にも地域の信仰の中心的存在であった。