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和暦 (西暦) |
関係事項 |
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天文12 (1543) |
明智光秀、熙子と結婚。 |
永禄6 (1563) |
玉、明智光秀の娘として、越前国に生まれる。 |
元亀2 (1571) |
光秀、惟任日向守となり、近江坂本十万石を領有。玉、近江坂本城に移る。 |
4 (1573) |
細川藤孝、桂川西地を「一職」に拝領。 |
天正3 (1575) |
織田信長が光秀に丹波・丹後両国の平定を命じる。 |
6 (1578) |
玉、信長の命により、勝龍寺城主細川藤孝の長子・忠興に嫁す。 |
7 (1579) |
光秀の義母、人質として殺され、信長との隔絶深まる。玉、長女長を産む。 |
光秀、丹波・丹後の両国を平定。 | |
8 (1580) |
玉、長男熊千代(忠隆)を産む。信長は光秀に丹波、細川藤孝・忠興に丹後を与える。 |
8月2日藤孝父子、勝龍寺城から八幡山城に移る。また宮津に平城を築く。 | |
9 (1581) |
4月12日光秀、茶人津田宗及、連歌師里村紹巴等と細川氏の招きで宮津に来る。九世戸天橋立を遊覧。 |
10 (1582) |
6月2日本能寺の変。明智光秀、細川藤孝父子を誘う。6月13日明智光秀死去。ついで明智一族、坂本城で滅亡。玉、味土野に幽閉される。 9月8日 細川氏、一色五郎を饗応し、謀殺する。幽斎(藤孝)、舞鶴に田辺城を築く。忠興の側室、おこほを産む。 |
11 (1583) |
玉、味土野で暮らす。清原いと等玉に仕える。玉、次男興秋を産む。 |
12 (1584) |
玉、幽閉をとかれ宮津に戻る。のち大坂玉造の細川邸に移る。 |
14 (1586) |
玉、三男忠利を産む。 |
15 (1587) |
4月忠興等、秀吉の命により九州の島津氏討伐に向う。 忠興不在中に玉入信し、ガラシャの霊名をもらう。 |
16 (1588) |
ガラシャ(玉)、二女多羅を産む。 |
慶長3 (1598) |
ガラシャ、三女まんを産む。 |
5 (1600) |
6月27日忠興、徳川家康配下として上杉景勝討伐のため、宮津から関東に出立。 7月17日ガラシャ、石田三成から人質になるよう求められたが拒否し、大坂屋敷で自刃(38歳)。 |
7月20日幽斎、宮津城を自焼し、田辺城に籠城。9月幽斎、田辺城開城。 9月15日忠興、関ヶ原合戦に出陣。 |
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10月忠興、建仁寺でガラシャの侍女と対面。ガラシャの最後の様子を知る。 | |
正保2 (1646) |
12月細川忠興、死去(83歳)。 |
※参考文献 田端泰子(2010)ミネルヴァ日本評伝選 細川ガラシャ-散りぬべき時知りてこそ- ミネルヴァ書房