なごみの里 あさひ
地元産の新鮮な野菜や手づくりの加工品(パンや餅)を販売する直売所。多目的トイレも備える。
地元産の新鮮な野菜や手づくりの加工品(パンや餅)を販売する直売所。多目的トイレも備える。
青少年の夢や憧れの舞台、スポーツを通じた健全育成、北中部地域へのゲートウェイ、そして京都府全体の発展の拠点して、京都府において、亀岡市内にスタジアムの整備が進められ、令和2年1月に竣工されました...
宿泊室、研修室、集会場、プール、キャンプ場、運動広場、ウォークラリーコース、雨天可能の大バーベキュー場等を備えた野外活動施設。希望によりキャンプカウンセラーのアドバイスも受けられる。定員/宿泊室...
事務局は、近鉄京都線寺田駅東口にある。近鉄京都線寺田駅西口を出て、すぐのところに観光案内所「NPO法人きらっと」があり、レンタサイクルの利用ができる。
テニスコート4面、800人収容可能な野外ステージ、アーチェリー場、グラウンド、体育館などの設備が整っている。
摩気神社の創始は古く、延喜式に列する名神大社。承暦3年(1079)には白河天皇の行幸があり、「船井第一摩気神社」の勅額を賜った。江戸期は、園部藩主小出氏の祈願所にもなった。社殿は全て江戸時代以降...
「久美浜焼」の陶芸作品の見学や、プロの陶芸家の指導の下、ろくろ・手びねりなどの手法で製作体験ができる。
かぶと山公園から徒歩約20分で山頂展望台へ。展望台からは久美浜湾と日間の架け橋といわれる小天橋、遠くは日本海を一望できる。
全長は1.8kmにわたる白砂青松野景勝地。国の天然記念物及び名勝に指定されている。 砂浜を足でこするように歩くと、キュッキュッと、まるで琴を奏でるかのような音がするので「琴引浜」と名づけられま...
「橋木の観音さん」として親しまれている。養老元年(717)にインドの僧、善無畏三蔵が創建した古刹。桓武天皇より勅願を頂き、弘法大師より発信貴山の山号をつけられた。寺宝の千手観音(非公開)、宝篋印...
三重県の伊勢神宮外宮の元宮になった神社。元々丹後地方に天下った農耕の神様で、雄略天皇の22年、神夢より伊勢山田原に迎えたのが伊勢宮外宮の始まりとされ、ここ豊受大神社はその元宮だと言われている。
三光国師(孤峰覚明)の開山による禅寺。 四季を通じて花を楽しむ事ができ、初秋には境内一面に萩の花が咲く。観音堂格天井は福知山城の舞殿に使用されていたと伝えられ百花百鳥が色鮮やかに描かれている。
本堂に九体の阿弥陀如来坐像が横に並んでいることから、九体寺と呼ばれる。本堂、三重塔、九体の阿弥陀如来坐像、四天王立像は、いずれも平安時代のもので、国宝に指定されている。 吉祥天立像開扉 1/1...
天平16年(744)に恭仁京が廃都。その大極殿は山城国分寺に施入の後、跡地は金堂として使用され、あわせて七重塔や境内鎮守社なども整えられた。そのため全国でも稀な二つの重要遺跡が複合することになる...
木津川河川敷を一般開放。車でそのままキャンプが出来る。(トイレ、水道有り)グランドゴルフ場も有る。
うっそうとした木々の中に、あざやかな朱色の鳥居が見える。その奥にたたずむ春日神社は、奈良の春日大社の分社として創建されたとも、若宮社殿を移したとも伝えられている。さまざまな謎を秘めた本殿は、南北...
地元農産物、商工特産品の物販スペースをはじめ、カフェダイニングや観光案内、さまざまな活動にご利用いただける地域交流スペース、さらに自家用車や観光バスの駐車場などの機能を備えた観光施設です。
本場の宇治茶を気軽に楽しんでもらおうと宇治市が開いている市営の茶室。茶道連盟の先生らが本場の宇治茶に季節のお菓子を添えてお点前をしてくれる。(月に数回、煎茶道の日もある)
伊根湾と舟屋を一望できる高台に建つ道の駅。そこからの眺めは絶景。公園内には水揚げされたばかりの魚を調理し提供するレストランや、地元の新鮮な素材を利用した特産品販売コーナーもある。 ・レストラン...
京都の「東寺口」から久世橋、向日市の中心街、長岡京市の神足、大山崎を経て「摂津」へ抜ける古い街道で、東海道・山陽道をつなぐ主要幹線道路。「山城名跡巡行志」という記録によると、京を出て最初の宿場「...
安積親王は聖武天皇の皇子。この陵墓は、お茶畑に囲まれた小高い丘の上にあり、別名「太鼓山」と呼ばれ土地の人々から崇られている。
貞観2年(860)の創建。奈良大安寺の僧行教が宇佐八幡神を勧請したのが始まり。嵯峨天皇の離宮があったところから、この名がつけられた。中世には商業組織の「座」の中でも最大の「油座」の本拠地がおかれ...
明治20年(1887)創業。「与謝娘」は、与謝蕪村の母親や、与謝野鉄幹の父・礼厳の出身地である山紫水明与謝の里で、秀峰大江山の良質の伏流水を原水として地元酒造米で醸造した、文化の香り高い丹後を名...
貞観元年(859年)男山に勧請された。国家鎮護の社として皇室から厚い崇敬を受け、源氏の信仰も厚く、寛徳2年(1045年)源義家が神前で元服して八幡太郎義家と名乗った話は有名。その事も要因となり分...