咋岡神社(飯岡)
建築年代など不詳。記録によれば、中世に天満宮と称した時期もあったが、明治6年(1873)村社となり、明治10年(1877)に延喜式内咋岡神社と決定、今の社名にあらためたという。境内の巨木・スダジ...
建築年代など不詳。記録によれば、中世に天満宮と称した時期もあったが、明治6年(1873)村社となり、明治10年(1877)に延喜式内咋岡神社と決定、今の社名にあらためたという。境内の巨木・スダジ...
約500人収容のホール。座席は可動式のため、収納して多目的ホールとしても利用できる。他にも会議場、和室あり。
南丹市の歴史と文化を知ることが出来る博物館。1階の常設展示室では原始時代から現代までの歴史を既存の実物史料や模型、写真等を用いて展示をしている。2階では企画展、特別展などが開催される。
日本屈指の原生林「芦生の森」の玄関口、トレッキングをはじめ、川遊びなど楽しむための拠点となる施設。宿泊の他、芦生の森のガイドツアーや、川遊びアクティビティ等の自然を楽しむ多様なツアーも提供してい...
日本の歴史的な景観を保有する京都美山町で京ゆばを製造。食事は昼食限定。
久美浜駅の北東、小天橋のすぐ近くにある久美浜温泉。ここの自慢は何といっても自然の岩肌から流れ落ちる湯を集めた露天風呂。他にも薬草風呂、打たせ湯などバリエーションに富んだお風呂がある。
久美浜湾の東部2kmにわたり広がる函石浜砂丘。ここで、久美浜の特産物でもあるメロンや梨などの果実が栽培されている。メロン、梨の発送サービスもある。メロン狩りも好評。
丹波道主命と川上摩須朗女の孫娘が皇后になったことを喜び、川上摩須によってかぶと山山頂に建立されたと伝えられている。また、この地の旧地名「熊野郡」の名のもとになったともいわれます。久美浜湾と日本海...
寛政元年(1789)創業。天橋立を見おろす成相山脈が三つに分岐して太鼓山系、金剛童子山系、吉野山山系で丹後半島を形成している、その中央にある吉野山を銘柄とする。 代表銘柄「吉野山 大吟醸酒」〈...
道の駅丹後王国「食のみやこ」の施設内にあり、緑に囲まれたひと時を過ごせるホテル。ホテル丹後王国の風呂の水は、ファイテンが独自で開発したフィルターを通して供給しており、心地よいくつろぎと、健康をサ...
丹後のシンボル「立岩」が近くにあり、丹後温泉もすぐそばにある。 海水浴場の紹介ページはこちら
碇高原牧場が一望でき、海の見える絶好のロケーションで丸い屋根をしたヨーロッパのリゾート風レストラン。
天平15年(743)奈良時代に白鷺が傷を癒したのを見た僧・行基によって開かれたという京都府最古の温泉。 〈旅館〉金平楼(TEL.0772-74-0019)木津館(TEL.0772-74-002...
シャワーなどの施設あり。〈テントサイト数〉フリー約50張〈設備〉トイレ、水場、シャワー
鳴砂(なきすな)で有名な白砂青松の景勝地。日本の音風景百選、日本の渚百選、日本の青松百選など数々の百選に選ばれています。日本初の禁煙ビーチ。 海水浴場の紹介ページはこちら
浦島伝説の地にある温泉。夏は海水浴も楽しめる。 〈旅館〉万助楼(TEL.0772-72-0145)シーサイド佐竹(TEL.0772-72-1188)五郎兵衛(TEL.0772-72-0305)...
アミティ丹後駐車場内で開催。地元の新鮮な野菜・海産物、季節のくだもの、ごはん、もち等を販売。
1フロア3室の展望温泉風呂付客室はテラスにベッドルーム、和室からなるスイート仕様。開放感ある大浴場や8階展望ラウンジを併設し、優雅な時を演出します。夕食は蟹(11月~3月)や但馬牛など贅沢に愉し...
台座を含むと高さ5.3mの府下で有数の石の立像で、江戸時代後期に建立された。右の頬にあざのような染みがあることから「アザ取り地蔵」とも呼ばれて親しまれている。冬になると、信仰する人々の手によって...
標高661m、頂上へ続く1,010段を登り切るのが、磯砂山登山の醍醐味。羽衣伝説の舞台となった山で、2つの登山コースがある。途中、天女が水浴びをしたと伝えられる「女池」が、また山頂には「天女のモ...
福知山市夜久野地域にある自然豊かな道の駅。 農産物を直売している「やくの高原市」、漆塗り体験ができる「やくの木と漆の館」、化石や古地図の展示がある「夜久野町化石・郷土資料館」があります。
産婦が七日七夜こもり出産すると難産はないと伝えられており、実際に臨月を迎えると産屋にこもって出産する風習が大正年間まで残っていた。建物は天地根元造と呼ばれる様式で昭和60年(1985)京都府有形...
自然の恵み豊かな奥京都の里山、大呂には豊かな緑と近くを流れる小川があり、子供たちがソトアソビに夢中になれる場がたくさんあります。バーベキューやアウトドアを満喫した後は、ゆっくりお部屋で寛げるのも...
昭和28年(1953)、古墳の後円部を南北に走る国鉄奈良線(現JR奈良線)の拡幅工事の際、偶然に竪穴式石室が出土。邪馬台国女王卑弥呼の鏡といわれる「三角縁神獣鏡」を含む四十面近い銅鏡や多くの副葬...