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大山祇神社
田んぼ道から少し小道を登った所に周囲を木立に囲まれて鎮座している。藤原純友の弟純索が、現地に熊野三所権現を祀ったのに始まり、後に文中3年(1374)楠木正成の弟、正季が現在の社地を定めたといわれ...
田んぼ道から少し小道を登った所に周囲を木立に囲まれて鎮座している。藤原純友の弟純索が、現地に熊野三所権現を祀ったのに始まり、後に文中3年(1374)楠木正成の弟、正季が現在の社地を定めたといわれ...
山城と近江の信楽を東西に結ぶ街道で、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」勃発時に、堺にいた徳川家康が宇治田原を通り、領国三河へ逃れた。家康一行は郷之口にあった「山口城」や奥山田の「遍照院」...
重要文化財に指定されている十一面千手千眼観音立像をご本尊とし、天武天皇の時代に創建されたと伝えられている。古くは「山本の大寺」と栄え、民衆の信仰を集めた。予約をすれば住職による説法が楽しめる。
木津川の流れが聞こえてきそうな場所に建つ祝園神社は、奈良時代、この地にこもった鬼神を鎮めるため、春日大名神を勧請したのが由来といわれている。毎年、一月の申の日から3日間行われるいごもり祭も、鎮魂...
大阪の八百屋半兵衛に嫁いだお千代は、姑に嫌われ実家に帰らされてしまう。庚申の宵に浮かれる大阪生国魂神社の近くで、半兵衛と5ヵ月の子を宿したお千代は心中を遂げる。近松門左衛門の作品「心中宵庚申」の...
奈良朝の元明天皇(707年~715年)の勅願により建立されたと伝えられる玉田神社は、古くから方除けの守り神として信仰されている。 本殿や石鳥居などは国登録有形文化財。
永観2年(984)、比叡山・常行堂にあった阿弥陀如来像を移して開いたとされる。正しくは「真正極楽寺」といい、広々とした閑静な境内には本堂(重要文化財)や三重塔、総門、元三大師堂、鐘楼堂(上記四棟...
嘉祥3年(850)の創建で、通称「なりひら寺」と呼ばれ、平安初期の歌人で六歌仙のひとり在原業平が晩年に隠棲し塩焼きの風情を楽しんだ寺で、境内には業平の墓と塩釜の跡の旧蹟がある。〈法話〉住職の都合...
京都の「東寺口」から久世橋、向日市の中心街、長岡京市の神足、大山崎を経て「摂津」へ抜ける古い街道で、東海道・山陽道をつなぐ主要幹線道路。「山城名跡巡行志」という記録によると、京を出て最初の宿場「...
旧綴喜郡のなかで、もっとも古い神社のひとつ。創建は明らかではないが、日本全国の神社を記した平安時代初期の書物「延喜式」にも掲載されている神社で、当時は朝廷から崇敬されていた。祭神は天照大神の弟、...
西陣という名称は、応仁の乱(1467~1477)の時、細川勝元率いる東軍に対して、山名宗全率いる西軍がこのあたりに陣を置いたことに由来する。機織りの街として名高い西陣だが、機織り業を営む家は上京...
寛喜元年(1229)近衛基通の孫、静基によって創建され、応永18年(1411)に現在地に落ち着いた。四脚門、御車寄せ、客殿などは江戸時代中期に東山天皇中宮承秋門院の旧殿を移築したものである。数少...
和銅4年(711)、聖武天皇の勅願で行基によって創られ、当時は弓削寺とよばれていたと伝えられている。その後天正7年(1579)明智光秀が周山城を築いた時、寺を壊して城の用材としたため廃絶した。現...
毎年10月22日、有名な鞍馬の火祭が行われる由岐神社は、鞍馬一帯の氏神さま。重要文化財に指定されている楼風門の通り拝殿は豪奢。 ※ご利益:縁結、子授け、安産、厄除、病気平癒の神、火除の神として信...
泉涌寺の塔頭の一つで、参拝客にお茶の庭でお抹茶の接待をしている。
〈都七福神〉日本最古の都七福神の1つとして有名。
日本音楽の源流とされる大原魚山声明の発生地として知られる寺。毎週日曜日、希望者には午後1時から本堂で声明を聞くことができる。〈写経・法話〉9時~15時おつとめ~写経~おつとめ~法話所要時間/約2...
東福寺塔頭。庭の苔がとても美しいことから「虹の苔寺」の別名をもつ寺院。歴史は古く明徳2年(1391)、金山明昶(きんざんみんしょう)によって創建。「波心庭」とよばれる庭園は、白砂の枯れ池と苔を巧...
乃木希典を祀る神社。
現在は臨済宗天龍寺派の末寺で、常盤山源光寺といい本尊に地蔵菩薩を祀っている。本寺は約800年続く伝統行事、京都六地蔵巡りの一つ「常盤地蔵」が祀られている寺で、毎年8月22日・23日の両日に行われ...
宇治川沿いに建つ宇治神社は、平安時代創建と伝えられ、古くは離宮八幡宮(桐原日桁宮(きりはらひげたのみや))と称し、祭神は応神天皇の皇子莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)とされている。三間社流造りの...
かつては紙幡寺、加波多寺ともいわれていた蟹満寺は、白鳳期の末期に建てられた。本尊の銅造釈迦如来坐像は白鳳期の秀作で国宝に指定されている。「今昔物語集」や「古今著聞集」に登場する“蟹の恩返し”の縁...
山城盆地のなかに孤立する小高い丘は、かつて咋山・咋岡とよばれ、早くから開けた土地であった。この飯岡丘陵には木津川の水運に関係する一族の墓と考えられる古墳が点在している。前方後円墳の飯岡車塚古墳、...
史跡長岡宮内裏内郭築地回廊跡の上に位置する歴史ある旧家で長岡京跡などの市内の歴史文化資源の案内解説などを楽しめる施設です。 明治43年に建築され、都市近郊の伝統的な形式を有した農家住宅として国...