![正伝寺](https://www.kyoto-kankou.or.jp/assets/no_thumb_330_220-f29318b4754e0cfde392ba9b1be734fb638f2b56ac06ac38aed83ef453328469.png)
正伝寺
船山の南麓、木々におおわれた閑静な高台に立つ。承応2年(1653)、現本堂が南禅寺の金地院から移築。方丈は伏見城の遺構の血天井があり、伏見城の御成殿とよばれていた建物を本堂としている。方丈前庭の...
船山の南麓、木々におおわれた閑静な高台に立つ。承応2年(1653)、現本堂が南禅寺の金地院から移築。方丈は伏見城の遺構の血天井があり、伏見城の御成殿とよばれていた建物を本堂としている。方丈前庭の...
明治19年(1886)に造成された京都市で最も古い公園で、明治26年(1893)には疏水の水を利用した噴水が瓢箪池に取り付けられ、大正3年(1914)には、七代目小川治兵衛により本格的な回遊式庭...
船枝の帝釈天山の中腹にある。本尊には帝釈天、わき立ちには毘沙門天像、増長天像が祀られている。700mの参道には108つの鐘が並び、その音が山々に響きわたる。 ※ご利益:交通安全、家内安全、社運...
二の丸庭園は神仙蓬莱の世界を表した庭園と言われ、作庭の年代については記録や作風から、二条城が造営されたときに、二の丸御殿に調和させて作庭されたものと推測される。寛永3年(1626 家光時代)の後...
「丹後天橋立大江山国定公園」の指定を受け「森林浴の森」日本百選に選ばれた大江山の森の中にあり、ブナ・ナラの原生林などの自然に包まれている。この神社まで車で行け、観光客や登山者にも人気がある。5月...
福知山城は、その前身を「横山城」と呼び、在地豪族横山氏の砦だった。その砦を丹波平定を行った明智光秀が、当時の城郭建築の粋を集めて改築し「福知山城」と改めたと伝えられる。江戸時代には、3層4階の天...
養老4年(720)にインドの帰化僧、法道仙人によって一霊木から十一面千手千眼観世音菩薩像を刻んで草堂に安置されたのが当山の開基。本堂は丹波を代表する密教建築。(府指定文化財)約1万株のあじさいが...
木津川に架かる全長356.5mの日本最長級の木橋。この名は、増水時の抵抗を少なくするため、床板が流れるように設計されていることに由来する。白砂の河原と清流に調和した風景は、時代劇などのロケにたび...
現存する神社建築では最古という本殿(国宝)は平安時代の建築で、一間社流造りの三殿からなり、左右の社殿が大きく中央の社殿が小さい。拝殿(国宝)は、宇治離宮の遺構といわれる寝殿造り風の住宅建築。もと...
東山のふもとに建つ閑静な古刹。仁寿3年(853)真紹僧都によって創建され、貞観5年(863)清和天皇より禅林寺の定額を下賜。諸堂は、おおらかな自然と一体となった長い回廊で結ばれている。重要文化財...
天正10年(1582)、本能寺で織田信長を討った明智光秀と、中国地方遠征から急遽とってかえした羽柴(豊臣)秀吉は山崎で対峙。戦いの焦点は、どちらが天王山を制圧するかにあったため、いまも勝敗の別れ...
西陣という名称は、応仁の乱(1467~1477)の時、細川勝元率いる東軍に対して、山名宗全率いる西軍がこのあたりに陣を置いたことに由来する。機織りの街として名高い西陣だが、機織り業を営む家は上京...
江戸時代後期の儒学者、文章家、歴史家、詩人、書家、絵人、思想家、生涯独立を貫いた自由人として知られる頼山陽の書斎が、当時のまま残されている。茅葺きの質素な外観に較べて内部の繊細さが印象的。見学に...
京都市の中心部、八坂神社を中心とする地区で、祇園という地名は八坂神社の旧称「祇園社」にちなんだもの。京都を代表する繁華街でもある。舞妓や芸妓の姿も見られる。北は白川南通・新橋通から南は団栗通まで...
角屋は揚屋建築唯一の遺構で、京の六大花街の中で最も古い歴史をもつ島原にあって、江戸文化の華やかさを今に伝えている。(重要文化財)美術館では与謝蕪村のふすま絵などの美術品を随時展示、公開している。...
京都市指定有形文化財。上賀茂神社の神主筋(七家)の社家の一つ。明治4年(1871)の国家神道令により上賀茂神社より離れたが、それまで社家として代々が居住した。住宅は伝統的な賀茂の社家スタイルの建...
神童寺は聖徳太子が開いた寺と言われ、その当時は大観世音教寺と称していた。その後、寺号を神童寺と改め、山岳修験の道場として栄えた。数多くの藤原期の仏像が残されており、阿弥陀如来坐像、愛染明王坐像、...
「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき」この歌を詠んだ猿丸大夫を祀る。三十六歌仙の一人に数えられているが、謎の人物。この地は、大夫晩年隠棲の土地とも伝えられている。また、猿...
網干場から発展したもので、潮の干満差の少ないこと、山と海に挟まれた狭い土地を利用するうえから生まれた。湾をとり囲み、海にうかぶように、230棟が軒を連ねている景観は見事。昔は、わらぶきの平屋建て...
平安時代に編纂された延喜式神明帳に載っており、乙訓地方で最も古い神社のひとつ。天正10年(1582)6月に起こった山崎合戦に際し、羽柴(豊臣)秀吉は家臣の片桐祐作を本社に遣わし戦勝祈願をしたとい...
平安時代の初め、清原夏野が双丘寺として創建し、天安2年(858)文徳天皇が大伽藍を建て天安寺とした。大治5年(1130)鳥羽天皇の中宮待賢門院が再興し法金剛院と改名、鎌倉時代円覚上人が更に復興し...
重要文化財の本殿は、江戸時代初めの慶長9(1604)年の建築。檜皮葺の屋根をもつ三間社流造で、神社建築では市内で最も大きい。旧富野・長池集落の産土神。令和5(2023)年に修理が完成し、かつての...
奈良時代の山背国久世郡の郡役所跡と推定されている遺跡。8世紀を中心とする大型の建物群が方位をあわせて計画的に配置され、7世紀を中心とした集落も重複して見つかっている。中心となる建物の一部が復元さ...
養老3年(719)に丹後一の宮とされた丹波、丹後地方きっての格式を誇る古社。祭神は、伊勢神宮と同じ天照大神や豊受大神。国宝、重要文化財の社宝も多く、神殿前の狛犬一対は、狛犬としては珍しく国の重要...